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智慧と知恵の違い

奥深さが違うのか?と思っていたが、どうやらそもそもの概念が違うみたいだ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211290417

智慧」とは仏様からのもので、「知恵」とは自身の心から生じるものです。ですから、意味は全く異なってきますね。

「知恵」は、人がその人生においてさまざまな経験を積み重ねていく中で、否が応でも生じる弊害や苦悩、迷いを克服していく過程のなかにおいて、あらゆる学問などを通じて培った「知識」を、如何に自身の心で消化して、自分のものとするか。だと考えます。
知識は外部から入ってくるものであり、知恵は自身の中から生じるものである、ということでしょうか。
ですから、苦労すればするほど、またその壁を乗り越え進む人ほど「知恵」は豊かとなるでしょう。

また「智慧」とは、前記のように御本尊と正面から向き合い、仏道修行する中で、仏様の命の境涯(仏界)に縁して、自身の心(命)にも在る「仏界」を認識していくことですね。
たとえ自分の望みとは逆の結果となっても、それが仏様からの答えであり、「御仏智」として捉えることでもあります。

自力だけではどうにも解決できない事や、迷いの原因であるところの煩悩を、御仏智により鮮明に映し出し、認識し、納得する。この行為、姿勢そのものが仏道修行ともなります。またその為には、自身の心に宿る「弱さ(宿業)」と対峙しなくてはなりません。ここで言う「弱さ」とは、例外なく誰の心にも在る「妬み・憎悪・貪欲」など、人を不幸にする悪因であります。
そこに気付かせて頂き、認識した以上は自力で正し、律していく。大変過酷な修行ともいえますが、それこそが「智慧」であります。

般若

ウィキペヂアからの引用がさらに興味深い。般若心境の般若とはなんぞや?という疑問をよくいだいていなかったが、どうやらWikipedia:智慧によると、般若=智慧であるらしい。

般若(はんにゃ、サンスクリット語: प्रज्ञा; prajñā プラジュニャー、パーリ語:पञ्ञा; paJJaa パンニャー、音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)は、一般には智慧といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である空と相応する智慧として強調されてきた。
同じ悟りの智慧をあらわす遍智(へんち、 परिज्ञा parijñā)と区別される。遍智とは文字通り「あまねく知る」ことで、四諦の道理を無漏(むろ)の智によって知ることである。この遍智を小乗のさとりを表すものとして、大乗の般若と区別するのも、般若を存在の当相をそのままに自覚する実践智と考えるからである。
この般若の意味は、識(しき、विज्ञान vijñāna ヴィジュニャーナ)とも区別される。識とは、いわゆる知識であり、客観的に物の何であるかを分析して知る分析智である。このような知識を克服して、それを実践智に深め、物の真相に体達すること、そのような智をことに般若というのである。たとえば、「生活の智慧」というが生活の知識といわず、「科学の知識」といって科学の智慧といわないようなものである。


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Last-modified: Sun, 06 Mar 2011 00:06:21 JST (2837d)